心地よくて住みやすい絵になる街雑司ヶ谷!

こんにちは、今日は久しぶりに雑司ヶ谷の良さを

歴史を踏まえながらなぜ住みやすい街になったか考察してみました。

 

雑司ヶ谷地域の歴史(江戸時代-戦後)

雑司が谷は東京都豊島区の池袋にほど近い街です。

豊島、雑司ヶ谷村は明治までは郊外であり、江戸時代古地図によると付近は田畑で鬼子母神とそれに続く参道、百姓の家、下級武士の家しかなく、雑司ヶ谷村を囲うようにして、

松平家大名屋敷(現在の講談社付近)、尾張徳川家鷹狩場兼別荘(西池袋、目白)が広がっていた地域でした。


転機が訪れたのは1923年の関東大震災です。この地震の破壊的な影響により、皇居以東に住んでいた士族、平民が皇居以西に移り住んできたことから雑司ヶ谷地域の発展がはじまります。

関東大震災により、住宅需要が逼迫したことから、関西で小林一三要する当時の阪急電鉄による宅地分譲事業の成功モデルを近江出身の堤康次郎が当時の西武鉄道を買収し、士族、華族の土地を買いまくり、東京で活躍していた実業家、文化人に分譲を始めました。

分譲した土地の中には自由学園明日館 (設計:フランク・ロイド)も入っており、阪神間モダニズムのように池袋モンパルナスとして、文化を築いてきました。

雑司ヶ谷地域も都電荒川線が開通したことや周辺の開発に影響を受けたのか、旧参謀本部陸地測量部(1927-1939)の地図、1936年頃撮影された航空写真によると雑司ヶ谷地域は小規模な宅地で埋め尽くされていることがわかります。

いわゆる低質で大量供給された住宅が広がったんですね!

その後の東京大空襲により、米軍が撮影した航空写真によるとあたりは焼け野原になっていることが確認できます。

しかし参道のけやきや鬼子母神境内のイチョウの木は奇跡的に残っています。

手塚治虫の時代

戦後復興期は混乱期であったことから再び低質な木造住宅が雑司ヶ谷地域を埋め尽くします。

そんな時代にに手塚治虫が当時手狭だったトキワ荘から当時新築だった並木ハウス(現存)に引っ越します。

手塚が雑司ヶ谷に引っ越してきたのには講談社が近かったことからだと考えられ、そのため、周辺や西武線沿線は漫画家やアニメーターの集積地となる。手塚治虫の回顧録では編集者が大勢廊下で待っていたらしい。

バブル崩壊

しばらくは漫画家が多く暮らす街として認知されてきた豊島区や雑司ヶ谷でしたが、バブル崩壊や近隣の池袋の治安のさらなる悪化、もともとのアクセスの悪さから陸の孤島揶揄されてしまいます。

そのため、1960年代に建てられたアパートがそのまま残り、なおかつ小道が多いため、再建築不可の低質で築古な建造物が町中にあふれ出して、活気がなくなってしまいました。

副都心線による新しい風

活気がなくなってしまった雑司ヶ谷に転機が訪れたのは2008 年の東京メトロ副都心線の登場です。副都心間を移動しようとするとどうしても山手線を利用しなければならず、混雑率が高止まりしていたた。それを解消するため、雑司ヶ谷地域にある明治通り幹線の地下に地下鉄を敷設しました。これにより、雑司が谷のアクセスの良さが劇的に向上した。

東京R不動産の衝撃

さらに⿁子母神とそれを構成する参道、手塚治虫の物語を東京R 不動産が再発見し、並木ハウス別館をリノベーションすることによってこれを体現しました。もともとは古びたアパートだったのですが、リノベーションをおこない、豆を一粒一粒選別し、一杯ずつ丁寧に淹れるカフェができ、地域に新たな風が入り込んできました。

そこから雑司が谷の持つ物語に共感をし、多くの様々な職能を持つクリエイターが集まるきっかけとなりました。

これが好循環をつくるきっかけとなり、高度経済成⾧期に建てられたアパート群は土地の持つ物語を反芻し上書きするような形で建て替えられています。

東京R 不動産は街の歴史を紐解くのが⾧けており、それを新しい視点から丁寧に層を重ねるように加えていく手法を用いり、その結果、新たな文化が入り込み、たった1つの建築物が点から線になり、そして面として、雑司が谷地域を書き換えていきました。

 

www.realtokyoestate.co.jp

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写真:4 月中旬の⿁子母神参道と並木ハウス別館(左のけやきは樹齢650 年)

まとめ

以上から見えてくるのは東京R不動産が強いイニシアチブを発揮し、古い建物をそのままに地域の憩いの場をおしゃれな形で作り出した点にあります。

これによって東京R不動産は高付加価値な賃料で貸し出すことができ、借りるほうも高付加価値な物件を活用し商売を行え、地域の活気や機微に気付いた地域住民やクリエイターを定着させることに成功しました。

 現在では鬼子母神境内や隣接する大鳥神社で手づくり市が定期的に開かれています。また10月になると御会式といったお祭りが開催されます。

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以上が私なりの解釈で紐解いた雑司ヶ谷の歴史です。

住みやすい街なのでぜひいらしてください!